休職サラリーマンの日記

適応障害やうつ病と診断された私が、日々思うことを書き連ねていく予定のブログです。

適応障害って……

昨日、FNS歌謡祭を見ていました。80年代、90年代の歌謡曲が好きな身としては、好みの音楽が多く、楽しめました。

そこで、話題となっていますが、深田恭子さんが番宣(映画の宣伝でしたが)のために出演していて、好きな曲を発表していました。

私の主観ですが、声量が小さく、呂律が回っていないように思えました。もしかしたら、適応障害の症状ではないのかもしれませんが、側から見れば辛そうでした。

私は、以前のブログに記載のとおり、4年ほど適応障害の診断を受けていて、ある医者からは「仕事を変えれば治る」とも言われています。今は、実質的に休職中なのですが(とはいえ、小さな業務には携わっています)、彼女のお姿を拝見すると、自分は症状がずいぶんと軽いのに休んでいるかもしれないと、罪悪感も覚えました。

そのあと、実家に戻っているので、妹と話をする機会を得ました。私からみると、妹は要領がよく、天才肌だと感じます。

その話から、私の仕事への向き合い方の話になりました。私は、100人の人がいると100人を満足させないと「失敗」と考えるようで、そうではなくてその内の1人や2人が話を理解してくれれば、それで御の字ではないかという話になりました。

私も常々、そのように考えてはいて、別に他人に期待などしていないというつもりなのですが、よくよく考えると自分の中で自動的に相手への期待値が上がってしまって、全員が理解できなければ失敗であると考えてしまうようです。完璧主義なのかもしれません。

妹は、相手がどのようなレベルかを判定して、そのレベルの人がどこまでなら理解できるかを確定し、それを目標とするそうです。したがって、その人を完璧な高みへ上げるのではなくて、その人が上がれる分しか期待しないそうです。そうすれば、その人の成長は期待できずとも、自分の目標は達成することができると。

本音では、それも自分の中ではしているつもりなのです。しかし、気づくと相手に期待してしまう。とは言っても、相手に期待したところで、自分ではどうすることもできません。それだったら、自分のできることだけをするというのは非常に効率的だし、自己否定をする必要もなくなります。

ですから、私の場合は適職ではあるけれども、その向き合い方(=適応の仕方)がうまくいっていない(=障害がある)という見立てなのかなと思いました。そうすると、仕事を変えたとしても、同じ問題が起こってしまうことは、ありうるのではないかと。それはそうかもしれない、そう感じました。

いずれにしても、話をするいい機会でした。やはり色々な人の考え方に触れるのは、大事なことだと思いました。

そして、深田恭子さんには、もし十分に休息が取れていないなら、もっと休んでほしいと思いました。しかし、これも酷なことを言っているようにも感じます。適応障害は、生真面目な人がなりやすいと思います(私は、根が不真面目なはずなのですが)。ですから、休んでいると色々と迷惑をかけてしまうと考え、復帰を早めようとするはずです。そこで、「まだ万全じゃないから休めば?」と言うと、生真面目ですから自分がちゃんとしていないと考えてしまって、また深みにはまってしまうと思うのです。休むのは最善の道ですが、本人の主観では最善ではないため、そのギャップに苦しむことになるかなと。世論が彼女に対してどのように判断を下しているのか、記事をしっかりと読んでいないので分かりませんが、「もっと休みな」という声も、決して本人のためになるとは限らないことを考えてみてほしい気がします。とはいえ、あの状態は休むべきかなとは思いますが。

今のところ、私は11月に復帰する予定です。深田恭子さんと比較すれば、1ヶ月の休みは十分ではないかと思います。しかし、11月が近づいたときに、私がどうなっているのか、私にもわかりません。また落ち込んでしまうかもしれません。ですので、11月には復帰しなければならない! とは考えず、今は過ごしたいと思います。