休職サラリーマンの日記

適応障害やうつ病と診断された私が、日々思うことを書き連ねていく予定のブログです。

将来の不安

私の癖の一つとして、不安のことを回避してしまうというものがあります。

回避するものの代表が、将来のことです。将来に対しては、絶望しか抱いていません。私の世代は70歳を超えても働かなければならず、年金は少額で、貯金のない者は生活できないだろうと。

なので、もうあまり将来を考えるのを止めていました。本当に嫌になってしまうから。

でも、今日、妻が将来が不安だと訴えてきました。そこで将来のことを少し考え、とても落ち込んでしまいました。苦しいです。

妻が落ち込んでいるのは、私の過去の行動に起因しています。彼女が私を責める気がないのはわかっていますが、間接的に責められているようで、やはり辛くなります。私は、結婚するとは思っていなかったので、少々破天荒な計画を立てていました。それを現実路線に戻す代償が、非常に大きかったのです。ただ、一応の清算の目処は立ったという状態でした。

このような計画だったことは、結婚前に伝えていたつもりでした。しかし、妻には実感が湧かなかったようで、結婚してから辛い思いをさせてしまっています。本当に申し訳ないです。

過去のことは水に流せません。なので、そのことを責められれば甘受して、反省するしかない。それはわかっています。しかし、この断罪がいつまで続くのだろうと思った時、涙がこぼれてしまいます。贖罪と、将来への不安、様々な思いが押し寄せてきます。こんなに辛い思いをしなければ、生きていけないのかと絶望します。反省している加害者は、同じようなことを考えるのでしょうか。一生かけて償うのでしょうが、「どうやって」償うのでしょうか。自分を完全に賭さなければならないのでしょうか。

生きるのって、大変です。